はじめに

今回は、「断ることから生まれるビジネス、断らないことから生まれるビジネス」というテーマで、お送りしていきます。

「断る」ということは、否定的なイメージを持たれがちですが、個人的には、何でも了解することが、顧客にとって「良策」となり得るのかと、疑問を覚える場面も多いです。

なぜなら、「何でも了解すること」が、顧客のためではなく、自らが仕事を切られないようにするためのものであって、顧客のことなど一切考えていないようにも思えるからです。

そこで今回は、どのような場面においては断ったほうがよく、どのような場面においては、断らないほうが良いのか。

そうしたビジネスの転換点やシーンを、考察していこうと思います。

「断る」ことで、断ち切る場面。

まず、基本的に断ったほうが良いという場合があります。

それは、お互いに表面的には得になりそうに見えて、長期的に見ると、意味を成さない場合です。

一時的な利益を得られる期待値は高いかもしれないが、トータルで見た場合に、収支が赤になる場合は、特に危険です。

こうした場合、一時的にはプラスになるだけに、断らずに策を講じて一時的な利益を得ようとしてしまいがちですが、

このような時は、一時的に得た利益が吹き飛ぶほどのマイナスを食らうこともしばしばです。

理由は、一時的な利益を得た瞬間から、顧客も自社も目に見えない小さな毒が少しずつ回りはじめて、

気がついた時には、小さな毒の蓄積で甚大なダメージを受けて、瀕死の状態になっていくからです。

ここまでかなり抽象的な表現で、具体的な事例を提示せずに、話を進めてきました。

というのも、具体事例というのは、これをお読みくださっている方自身や抱えている自社に、たくさん落ちているので、

そこに思いを巡らせるだけで、具体的なシーンを思い浮かべることができるからです。

そのため、こうした状況をありありと思い浮かべることができる方はむしろ安心で、危ういのは、こうした抽象的な状況から、具体事例が思い浮かばない場合のほうです。

もしかすると、かなり順調で、今後、数年、数十年単位で、何があっても問題のない法人企業なのかもしれません。

それはそれで良いのですが、単純に意図せず、自社の火種を見ないようにしているだけとも言えます。

見なければ(認知しなければ)、問題を問題として対処せずに済みますから、こうした状況もバカにはできません。

しかしながら、こうした場合、毒が回り続けた先に、表面上の問題が出てきたタイミングで、その問題がきっかけで潰れたと思いながら、(実際の原因は別のところにあるけど)潰れていくだけです。

もちろん、その表面に浮かんでいる問題が原因ではないことは、自明なのですが、外側から見ていればわかるものも、内側からはまったく見えない点に、危険をはらんでいると言えます。

ここまで、「断る」ことで、断ち切ったほうが良い場面について、考えを進めてきました。

次に、「断らない」ことで、次につなげる場面について、考察を進めていきたいと思います。

「断らない」ことで、つながる場面。

こちらに関しては、多くの企業が得意としている場面であると考えています。

というのも、断らないのは、簡単なことだからです。

「はい」というだけで、良きにしろ悪しきにしろ、事態は前に進みますから、何も考えなくても問題ありません。

ですが、そうした状況下であれば、何もここで考察を加えていく必要も、考えていく必要も特にありません。

むしろ、考えていく必要があるのは、ここまで見てきたような「なぜ断らないことは簡単なのか?」という点を、言葉にしておくことです。

同時に、他の企業が「ほぼ100%断る」ような状況で、自社が「ほぼ100%断らない」ようにするためには、どのようにすれば良いのかを考える必要があります。

他の企業は、ほぼ白旗ですから、OKを出した時点で、取引できることはほぼ確実です。

しかしながら、他の企業が「ほぼ100%断る」ような案件ですから、それが「極悪」によるものなのか、「極難」によるものなのか、はたまた、他の違う要件によって、断られているものなのか。

その断っている性質を、よくよく見分ける必要があります。

といっても、「極悪」によるものは、長年その業態のビジネスに関わってきている方がほとんどだと思いますので、それを避けることはできていると思います。

なので、ここで考えていくべきは、「極難」によるものなのか、他の違う要件によって、断られているものなのか、という点です。

最後に、この点について考察を加えていき、今回の記事を終えたいと思います。

「ほぼ100%断る」のは、難易度の問題か。

基本的に、他企業が「ほぼ100%断る」案件は、極悪なものを除くと、極端に難しい「極難」カテゴリーの案件です。

どの企業もそのレベルに追いつかないため、その案件を断らざるを得ません。

新幹線車両の先端部分の合板技術などが、その例として挙げることができると思います。

ですが、多くの場合、そうした場面で戦うことは極稀です。

見方を変えれば、他企業でも多くの場合、サービスを提供することはできるけれども、その案件について「ほぼ100%断る」、という場合が多いのです。

なぜ、できるのに断るのでしょうか。

表面的には、金額的に合わないとか、条件が整っていないとか、いろいろとあると思いますが、煎じ詰めていくと、ある理由にたどり着くことがほとんどです。

それは、「面倒である」「手間がかかる」ということです。

正確に言うと、「面倒でありそう」「手間がかかりそう」ということです。

ここで大切なのは、「面倒である」かどうか。あるいは、「手間がかかる」かどうかは、実際にやってみた結果を見ないとわからないのですが、

それ以前の段階である「面倒でありそう」「手間がかかりそう」の時点で、多くの企業は、見送ってくれます。

「火中の栗」という言葉もありますが、実際に拾えるかどうか以前に、実際に火の近くに寄ってみる人もほどんどいません。

そのため、極悪かどうかの選別の必要はありますが、フタを開けてみたら、ただただ「面倒でありそう」「手間がかかりそう」なだけだった、ということも多いのです。

そして、「火中の栗」を拾ったファーストペンギンを見て、他社も真似をしてくると思いますが、実際にそれを気にする必要もありません。

理由は、「面倒でありそう」「手間がかかりそう」に見える事実は、相変わらずだからです。

つまり、自社がうまくいったという事実を目の前にしても、他社から見ると相変わらず「面倒でありそう」「手間がかかりそう」なので、追いかけてくることがほとんどありません。

このように見ていくと、かえって、傍から見ると、極端に「面倒でありそう」「手間がかかりそう」なくらいの案件で良いのかもしれません。

おわりに

今回は、「断ることから生まれるビジネス、断らないことから生まれるビジネス」というテーマで、お送りしてきました。

「火中の栗」という例も挙げましたが、実際に、炎の中に身を投じる場面は多くありません。

むしろ、火中の栗を模したプロジェクションマッピング(仮想の映像)の火事の中に、実際の栗が落ちているくらいの状況です。

しかしながら、それが模造の中の世界であることに、気がついている企業は多くありません。

あとは、現実の事業において、燃えているように見えるだけの模造世界における、演出用の栗を生産する役割が残されているだけです。