はじめに。

今回のテーマは、「企業の真価は、「現在進行形」に現れる」です。

先日、米スタンフォード大で行われた卒業式の時の、スティーブ・ジョブズ氏のスピーチの映像を見る機会がありました。

よく名言語録のようなもので、

「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、その通りになる」

「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」

といった部分を紹介してみるものがあります。

しかしながら、ジョブズ氏のスピーチの文字起こしを見ると、この一文だけを見た時と、全体のスピーチの中で、これを見た時の印象がだいぶ異なると感じました。

キャプチャー画像(名言)だけを見て、動画全体(スピーチ全体)を理解したかのような、そのようなイメージです。

この違和感のようなものがどこからやってくるのか。

今日はそんなところから、考察を始めようと思います。

企業の価値は、実績という過去の遺産ではなく、「現在進行形」の中に浮かび上がる。

世にある企業は、常日頃から、今までもたらした実績によって、他の企業と比較検討され、選ばれ続けた企業だけが、現在も生き残っています。

ですが、ジョブズ氏のスピーチの文字起こしを読んでいて、本当にそうだろうかと疑問に感じました。

理由は、もし実績という過去の遺産が、企業の価値をもたらすならば、ジョブズ氏が世に生み出した「スマートフォン」は、誰からも評価されないと考えたからです。

実際に、「スマートフォン」が出始めた頃は、当時の著名な経済評論家は軒並み、その革新性に理解が及ばす、広まらないと判断していたからです。

ですが、結果的に、現在では、強力な通信インフラの一角となり、日本での「スマートフォン」市場は、りんごマーク1色です。

なぜ、実績のある名だたる評論家は、予想を大きく外し、結果は大きく異なったのでしょうか。

それは、今回のテーマでもある企業の「現在進行形」に、目を向けることができていなかったからです。

言い換えれば、過去の結果のみを判断の材料としてしまい、現在の状況下や、将来的にどのような世界になるのか、という視点を省いた状態で、「スマートフォン」を見つめていたから、違った結果になってしまったと言えます。

そして、これは、現在にも通じるところがあると考え、今回のテーマとしています。

目的地に着くことが目的ではなく、目的地に行くことが目的。

ですが、ここで考えたいのは、当時の評論の批判ではありません。

視点として見てみたいのは、その考えに至った背景についてです。

この章では、旅行を例に考えてみようと思います。

少し立ち止まって考えると、旅行って、何をすることなのでしょうか。

観光地や目的地、見ておきたいスポットなどなど、さまざまな目的があると思います。

でも、そこでの出来事について、よく覚えているでしょうか。

写真を撮ったり、メモを書いたりして、そこに行った事実というのは、思い出すことができると思います。

しかしながら、当時の記録や記憶が無ければ、どこに行ったのか覚えていない人も多いのではないでしょうか。

反対に、旅先の途中で出会った人や、話したこと、起こった予想外のハプニングなど、写真やメモなど、どこにも残っていないのに、あたかも昨日起きたかのような鮮明さで、覚えていることはないでしょうか。

旅行会社も交通機関も、ランドマークとして、観光地や利便性などを掲げて、商品を販売していますが、実際には、そこに行くことが目的ではなく、そこに行くことを通して得られる何かを売りに出していると考えられるのです。

つまり、旅の価値は、目的地ではなく、目的地の途中(過程)に落ちているのではないかと、考えることができます。

漱石の道草から着想を得たラジオドラマ。

少し古い記憶ですが、ずいぶん前に、夕方かかっていたラジオで、「道草」というラジオドラマをやっていました。

これは、個人的な推測ですが、夏目漱石の「道草」から着想を得ているものと思われます。

夏目漱石の「道草」の内容については、忘れてしまいましたが、かつて流れていたラジオドラマの「道草」も、夏目漱石の「道草」も、似ている部分はあると感じています。

なぜなら、先ほどの章でも紹介した「旅の目的は行き先ではなく、その途中」という話にもつながっているからです。

「企業の評価は、現在進行形の中に」という言葉でも表現した通り、企業においてもまた、現在進行形で活動する道半ばの「道草」の中に、その存在意義は隠れているように見えます。

企業の歩みと奥の細道。

これは、江戸時代に全国行脚をした松尾芭蕉にも同じことが見えてきます。

当時の平均寿命から考えると、現在で置き換えて考えれば、80代で足腰が弱くなってから、徒歩で全国を歩いて回ろうとしたようなものだと個人的には考えています。

なので、2人(芭蕉と旅の同志である曾良)は、東京日本橋から最終目的である岐阜大垣に行くことが目的ではなく、途中で野垂れ死ぬつもりだったのではないかと言えます。

当時すでに、俳句の大家だったとはいえ、お金もあまり持ち歩かずに、行く先々で俳句を教えながら、旅の資金を得るとともに、各地域での人々と交流したとも言われているので、行き当たりばったりの旅だったのではないかと見ています。

ですが、これこそ、究極の道半ばであり、「道草」を極めた姿なのではないかと考えています。

そして、これは、企業の活動に対しても言えて、「いつ倒産するかわからない」からこそ、それぞれの企業が、それぞれの「現在進行形」を見せることによって、結果として、実績につながると言えます。

おわりに。

今回は、企業の真価は、「現在進行形」に浮かび上がるというテーマで、考察をお伝えしてきました。

実績というと、どっしりと構えている感もありますが、現在ではどちらかと言えば、「現在進行形」という言葉でも表現したように、「いま、その瞬間」の1ページに、どれだけの輝きを見せることができるか、に企業の価値が見出されているようにも思えます。

それは、道半ばで倒れようとも、その瞬間瞬間を懸命に生きた企業活動があり、そこの中で活動してきた人間の活動があるからです。