はじめに
今回のテーマは、「可能性は、本当に実行するまで現実にはならない」です。
あるきっかけで、この言葉を目にしたのですが、久しぶりの再会で、何か懐かしい気持ちになりました。
会社経営の来期予測などは、まさにその「可能性」の最たるものですが、「知っている」「来期の予測はある程度できた」などと思っている時ほど、足元の危うい時はありません。
でも、なぜ「わかっている」と思った時ほど、危ういのでしょうか。
今回は、その部分から、お話を始めていきたいと思います。
「可能性」という言葉の「可能性」
未来というのは、不確実で、予測できないものだとされています。
ですが、会社経営の来期予測に関して言えば、ある程度、そのことについて考えることができます。
すでに、契約を結んでいる顧客との関係が来年も契約できていたり、顧客からの信頼を得ていて、紹介が続いているような状態ですね。
そして、商品やサービスに関しても、ある程度定まっていると思いますので、その点では未来を予測するより、会社の来期売上を予測することのほうが、いささか確実性のあるものになると言えます。
ただ、冒頭にも書きましたが、「来期の予測はある程度できた」などと思っていると、突発的なイベントで、最大瞬間風速的に、吹き飛ばされて終わってしまいます。
それは、なぜなのでしょうか。
経営者に慢心や甘さがあったと見る向きもありますが、むしろ、反対で、ガチガチに予測を組んで、それを真面目に実行してきたがゆえに、
「(事業が)風と共に去りぬ」みたいなことに、なってしまったと考えています。
というのも、経営予測の弾力性の無さがあったにしても、「可能性」という言葉の「可能性」
を鑑みなかったことによる、影響のほうが大きいと見ているからです。
予測というのは、可能性と同様、それが実行されるまで、現実の結果がどうなるかは確定しません。
そのため、「行ける」と思っても縮小してしまったり、「難しい」と思って止めてしまった結果、ビジネスチャンスを逃してしまったりすることがあると言えます。
リスクの考え方や取り方、どこまでを許容範囲として、どこを超えた時に、ブレーキをかけるのかは、その法人それぞれです。
ただ、「可能性」という言葉が余計な問題を引き起こしていて、要らぬ事業縮小や過小評価による事業拡大チャンスの逸失を生み出していると考えています。
では、なぜそう言えるのか。
次の項では、この点について、お伝えしていきます。
◯◯ができる人、手を挙げて下さい。
小学校の授業参観に限らず、ビジネスの世界は、日々「◯◯ができる人、手を挙げて下さい」の連続です。
そこで、手を挙げるかどうかを含めて、毎日が授業参観とも言えます。
そして、問題は「◯◯ができる」という状態を指し示す具体的な内容は、顧客によって違います。
プロアスリートに厳しい指導を受けたいのか、地域の少年サッカーチームで、通っている学校以外の仲間づくりのために参加したいのか。
こうした違いが、「◯◯ができる」という言葉の背景には、隠れています。
そして、顧客としては、「◯◯ができる」のは、経営者自身でなくても構いません。
実際に、規模の大小に限らず、商社や流通業というのは、どこからから商品を仕入れて、それを必要な企業に、紹介して販売しているわけですから、
その商品を扱っている商社や流通業者自身が、その商品を作ることができなくても良いことになります。
また、経営者自身がその実務をできなくても、経営者ができる人を探してくることができれば、それでビジネスとしては成立します。
経営者が、顧客と実務担当者をつなぐ、商社の役割を果たすという構図です。
発注したい法人と、その発注した仕事の実務を担う人をつなぐことができているので、これで問題ありません。
同時に、こうした考え方は、「できるかできないか」という視点ではなく、「可能性とは何か」という視点を持ち出していることもわかります。
何かの試験や、他社との比較による受注競争でも何でも良いですが、「合格するかどうか」や「実際に案件を獲得できるかどうか」という発想ではなく、
そもそもその試験を受ける必要があるのか、という視点や、そもそも他社との比較競争されている時点で終わっているのではないか、と考えることのできる発想です。
イメージとしては、階段の同じ段で勝負したり、考えたりするのではなく、相手の属している階段の一番上から、「そもそもこの枠組みって何だ?」というように、
言葉の上に乗っかっている具体的な事象ではなく、具体的事象の下に眠っている概念そのものを疑うことができれば、この「可能性」問題も、解決の日が近いと言えます。
意味や価値とは、備わっているものではなく、創るもの。
ここまで「可能性」という言葉の「可能性」について、考察を加えてきましたが、そもそも「可能性」という言葉そのものに、余白があり、揺れがあることがわかりました。
そして、このように見てくると、言葉の意味や価値というのは、もともとあるように見えて、実はその時々で変化しているものと言えます。
どうしてかと言うと、「可能性」という言葉の「可能性」を決めているのは、ビジネスで言えば、自社と顧客の双方だからです。
そして、自社サービスの提供範囲は、自社の視点から見ると、他社に劣っていたとしても、他の部分では、他社から価値を見出される場合もあります。
単純に相性の問題もあるため、誰もが良いと思えるようなサービスで、誰もが納得できるような価格だったとしても、
実際に、そのサービスに対して、顧客がお金を出し、数ある企業の中から、自社を選んで購入してもらえるかどうかはわかりません。
ただ、この中で、ただ1つだけ確かなことは、顧客と自社の組み合わせによるシナジーだけは、唯一無二であるということです。
いくら似ているといっても、まったく同じサービス・同一の従業員・すべて同一の法人の考え方というのは、1つとして存在しないからです。
おわりに
さて、今回は「可能性は、本当に実行するまで現実にはならない」というテーマで、お送りしてきました。
「可能性」という言葉の側面に加えて、実際に「可能性」という言葉に含まれる「可能性」を考察してみることで、他社と自社は似ていると同時に、まったく違った存在であることが浮かび上がってきます。
その点で、違いを出せば出そうとするほど似てきてしまうのに、似せようとすればするほど、エッジが効いてしまう仕組みも、このような視点から言語化できると言えます。