はじめに

皆さん、こんにちは。桜の開花の話題も出始め、今年度もいよいよ終わります。

会社によって、決算月は違うものの、日本では学校が春に始まり、春に終わりを迎えるので、年度の感覚も春に切り替えを迎える経営者も多いです。

今回は、会社に風を送り込む「視点」に注目しながら、記事を記していきたいと思います。

都市部の大型書店の入り口に置かれているのは、売れ筋ではなく文芸書という事実。

新年と同様に、この3〜4月を迎えると、何か「新しい」ことにまつわるものが、世間ではもてはやされます。

新社会人の応援フェアや、新しく入学する学校生活にまつわる特集などが、そういったもののひとつです。

一方で、こうした定期的なイベントは、企業の経営者にとっても、世間の流れや流行りを見る指標の1つとして見ていることもあります。

例えば、都市部の大型書店の1階で、何を特集として取り上げているか、という視点です。

ちなみに、「都市部の大型書店」としたのは、ビル1棟全て書店、あるいは、商業施設に入っている書店でも、商業ビルの3フロア分(3階部分)相当の書店くらいの広さでないと、入り口には、書店が今売りたい本や売れている本を置いていることが多いからです。

さて、話は元に戻りますが、書店に行く経営者は多いですが、見ている本はそれぞれです。

しかしながら、読むための本を探しに行っているというよりか、仕掛ける視点を見つめています。

また、都市部の大型書店の1階に注目するのは、その書店の看板を、今はどのようにしているか、というところを見ているように思います。

言い換えれば、入り口に何を置いているかで、「視点」や「潮流」を見ているのです。

経営者は、具体的な業務に関しては、現場のプロに任せておけば良いかもしれません。

けれども、「考える」ことと世界の潮目を「見る」ことは、他の誰にも任せることができません。

それによって、自身の会社の運命が決まってしまうからです。

これは、大きな書店で、1階がどんな売れ筋やコーナーを設置していたとしても、人文書(教養書)を置いていることにも似ています。

書店とは、本を売るのが仕事です。

そのため、本が最大限売れるように、世間の流れを見ながら、常に書棚や展示を入れ替えています。

その一方で、書店は来てくれた人の教養を高めるという、社会公益性の強い事業を営んでいるとも言えます。

こう見ていくと、書籍という媒体を通し、書店という事業は、民間にして、最大の公益産業の1つでもあるのです。

自分が受験して合格できるかどうかではなく、どうすれば受験生に合格をもたらすか、という視点。

これは、一般的な書店のランキングと大学生協の書籍のランキングを比較すると、また違った視点が見えてきます。

一般的な書店では、棚差しで並べられている本でも、大学生協のランキングでみると、売れ筋になっていることがよくあります。

大学の授業で紹介された本を、まとめて学生が購入しているから起こりうる現象でもありますが、そもそも上位の大学ほど、読んでいる本がそもそも違います。

これは、ずいぶん前に、ある国立大学が初めて推薦入試を始めた時の小論文でも、同じ傾向がありました。

テーマは、ある歴史家の大家である人物のテキストを読んで、その分野の研究をする意義について問われていました。

もちろんですが、読んだテキストの感想をただ書いたのでは、入試には合格できません。

この小論文の裏テーマとして、テーマになっている歴史の大家を超える視点を提示して、その歴史家を批判する小論文を書けるかどうかを見ているわけです。

大学受験なので、受験するのは、高校3年生です。

おそらくですが、長年経営者として手腕を振るってきた人でも、まともな切り返しができる人は、ほぼいません。

ですが、大切なのは、自らがこのテーマに対して、上手い切り返しの文章を短時間で考え、文章を表現できることではありません。

その上手い切り返しができる受験者を見抜き、それが自社に沿うものかどうかを見る必要があるのです。

つまり、頭脳の鋭い「キレ者」になるのではなく、その頭脳鋭い「キレ者」を社員としてどう指揮するか、ということです。

経営者にとって、自身が「キレ者」かどうかではなく、「キレ者」が生息しやすい環境を自社に作れるかどうかを見る。

これは、自社がなぜ存在しているのか。という問いにも当てはまります。

正直なところ、同じような職種業種が、たくさんあります。なので、自社が潰れたところで、その代わりになるところは、問題なく出てきます。

しかしながら、今ついてきてくれている顧客は、何かしらに対して、他の会社には無い魅力を、御社に感じていると言えます。

自社のことであるので、見過ごしている部分もあるかもしれません。

ただ、そもそも自社が何であるかという定義が、かえって、自らの可能性を狭めているとも言えます。

前の項目で言えば、経営者自身が、頭脳の鋭い「キレ者」になろうとしてしまっているようなものです。

ですが、経営者の仕事は、そういう人に来てもらって、社内を変えるきっかけにしたり、場合よっては、自社を否定するような視点を提供してもらったりすることで、会社の次の時代を創ることです。

言い換えれば、1人のプレイヤーの視点は抑えつつも、経営者は指揮をする立場です。

経営者と社員に、立場の役割における違いはあるものの、それが人間的な優劣ではないことは言うまでもありません。

「優秀な人」は、人手が不足している時代に、引く手あまたです。

ですが、同時に、経営者自身が「優秀すぎる人」を嫌っている感も見え隠れします。

言い方を変えれば、自分より優秀な人を求めていながら、実際に「優秀すぎる人」に出くわすと、立ち往生してしまうのです。

会社と方向性の違う人に来てもらっても、お互いに苦労するだけなので、止めておけば良いでのすが、そういう「優秀な人」が必要なのに、立ち止まってしまう。

それは、ここまでに記してきたような、ボタンのかけ違うとも言うべき「考え方のズレ」にあると言えます。

おわりに

さて、ここまで頭脳の鋭い「キレ者」に、経営者自身がなるのではなく、そうした人に来てもらうにはどのようにするか、という点についてお伝えしてきました。

自社の方向性と全く違うのであれば、やむを得ませんが、自社に「新しい風」を送り込もうとするのであれば、今までの延長線上でやっていても、何も起きません。

ですが、自社を変えていくために、経営者自身が頭脳の鋭い「キレ者」になろうとしている視点は、よく見受けられます。

ただ、経営者が考えることは、そこではありません。

ボタンがかけ違っているという冷静な視点を持って事実を見つめ、その冷静な視点をもとに、どう切り返していくかが求められていると言えます。