はじめに。

今回は、「借りてきた言葉と自分の言葉」というテーマで、記して参ります。

社内における社員との話においても、取引先との話においても、人は言葉を用いて、日々意思の疎通を図っています。

ですが、話をしていく中で、ふと「どこかで聞いたことのあるような話だな」と感じることや、「前にもこんなことがあったような」と思うことはないでしょうか。

元の言葉を生み出した人がいることもあると思いますが、それを伝えた本人の言葉ではなく、その元の言葉を作った人の言葉になってしまっていることもしばしばです。

服を着るのではなく、「服に着せられている」という表現があるように、言葉を用いて話しているのではなく、「言葉に着せられている」ような表現になってしまっているというわけです。

では、その「言葉に着せられている」という現象は、どこからやってくるのでしょうか。

今回は、そこから話を進めていこうと思います。

「服に着せられている」ならぬ「言葉に着せられている」状態。

そもそも「服に着せられている」状態というのは、その人自身に、その服が合っていない状態を指し示しています。

サイズが合っていなかったり、そもそも体型や来ていく場所に合っていなかったり、などなど。

さまざまな要因でもって、「服に着せられている」状態が生み出されてしまいます。

それは言葉でも同じことが言えて、「言葉に着せられている」状態は、その人自身の普段の言葉の用い方と、どこかで聞いた言葉を用いた時で、落差が出てしまっていることに由来していると言えます。

言い換えれば、「どこかで借りてきた言葉」という雰囲気が出てきてしまうのは、その言葉を用いた人自身の言葉や雰囲気が加味できていないから、ということです。

そして、これは、本を読んだり、勉強したりすればするほど、悪循環を発生させてしまうことがあります。

つまり、「どこかで借りてきた言葉」にならないように、必死になって勉強すればするほど、「どこかで借りてきた言葉」感に拍車がかかってしまい、ますますその人自身の言葉から遠ざかってしまうということです。

ですが、これは、「どこかで借りてきた言葉」という状態を脱するために、学習をしなくて良いということにはなりません。

では、何をどうすることによって、その「どこかで借りてきた」感を和らげることができるのでしょうか。

その点について、次に見ていきたいと思います。

「どこで借りてきた」か、わかるようにしておいたほうが良い場面もある。

ここまで「どこかで借りてきた感」について、考察をしてきたのですが、それ自体は、悪いことではありません。

というのも、「どこで借りてきた」か、わかるようにしておく必要がある時も、存在するからです。

例えば、この言葉とかそうですよね。

「May the force be with you.(フォースとともにあらんことを)」

映画「スター・ウォーズ」の一場面ですが、ふとした文章の引用で用いられているの見ると、登場させ方が上手だと思うこともしばしばです。

また、日本語で言えば、こういう言葉もあります。

「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、褒めてやらねば人は動かじ」

こちらは、昭和の海軍大将、山本五十六の言葉です。経営者界隈では、歴史が好きな人も多いので、歴史の要人から、言葉や引用をする人も多いかもしれません。

人事や幹部指導では、通じる話でもありますが、同時に、最近では言葉だけが表立って注目されていて、どのような時代背景において、このような言葉が用いられていたのかが、忘れられつつある言葉でもあります。

現代日本の話ではなく、1930年代からのアジア・太平洋戦争で、指揮を執っていた人物の言葉なので、現在にも残っていて通じているところが、この言葉のすごいところです。

「どこかで借りてきた」感を和らげる。

では、一般的な会話や指導の場面などにおいて、「どこかで借りてきた」感を和らげるには、どのようにする必要があるのでしょうか。

まず「どこかで借りてきた」感を「和らげる」という表現に注目しておきたいところです。

理由は、言葉は誰かの言葉によって生み出され、その言葉がまた、別の言葉を生み出していく存在だからです。

言い換えれば、その人オリジナルの言葉は、そもそも存在することはできないからです。

というのも、こうして今用いている日本語が、もうすでに、過去に誰かが生み出した言葉です。

そのため、誰かが生み出した言葉の上に、自らの言葉が乗っかっているという意識があるかどうかで、かえって「どこかで借りてきた」感が、和らいでいくということに気がつくということです。

これを踏まえた上で、前の章でも考えてきましたが、「誰かの言葉」と「自らの言葉」を分けて伝えることも大切です。

つまり、ここは引用部分で、ここは自分の言葉でお伝えしていますよ、と伝えるということです。

そうすることで、相手にも「誰かの言葉(引用)」と「自らの言葉」が分けられて伝わることになり、「どこかで借りてきた」感が薄くなり、経営者自身の伝えたいことが、より伝えやすくなると言えます。

おわりに。

今回は、「借りてきた言葉と自分の言葉」というテーマで、考察をして参りました。

その中で、そもそも言葉という存在が、もうすでに過去に誰かが生み出した存在に乗っかっているということに気がつくことが、そのはじめの一歩であることをお伝えしました。

それを踏まえた上で、「誰かの言葉(引用)」と「自らの言葉」を混ぜることなく、積極的に分けていくことで、かえって経営者自身の言葉が光り輝くということも記しました。

学習や勉強は大切なことではありますが、同時に、その学習や勉強をそのまま転記するのではなく、そこから経営者自身がどのようなことを思い、どのようなことを考えたのか。

社員や取引先など、普段関わっている人たちは、むしろ、そちらを知ろうとしているのではないでしょうか。

その点で、そうした「経営者自身の言葉」を待っている人のためにも、こうした言葉の扱いと前提は知っておくと、より相手に伝わる言葉選びをでき、「どこからの引用でもない、その経営者自身の言葉」になると言えます。