「私、人間なんです」と相手に、いちいち言いますか?

この記事では、コスト削減について、考えていきます。 そう言った手前から申し訳ないのですが、コスト削減って、不思議な言葉だなと感じます。

なぜなら、大きな会社の数ある部署の中の1つに所属していて、コスト削減の何かについ て、上司から仕事を言い渡されている人ならばまだしわかります。

ところが、管理者や場合によっては、経営陣の方など、どんな立場の人でも、この言葉が出 てくるので、不思議に感じるのです。

でも、この部分のタイトルでも挙げましたが、誰かと話をする時に、相手に対して、1回1 回「私、人間なんですけど」って説明しないですよね。

当たり前と言うか、見れば人間かどうか、わかりますから、前置きとして「私、人間なんで すけど」とは言わないですよね。

コスト削減も同じだと思うんです。 余計な費用をかけずに済むのであれば、それに越したことはありません。

しかしながら、場合によっては、お金はかかるけど、信頼を得るために、止むを得ず使う費用もあります。

また、大きな失敗をしてしまったけど、取引先との関係性を維持するために、費用を支払って、関係を維持を図ることもあります。

このコストを削減したら、大変なことになりますよね。

取引先との関係が切れて、相手に貢献はできないし、自社にも利益が入ってこないのですから。

コスト削減を考える時に、何をコストとして、どれくらいが無駄なのか。

それは、何かを行ってみてから、結果として分かったのか。あるいは、やる前から、コストであると分かったのか。

特に結果的にコストになってしまった部分に関しては、止むを得ないのではないでしょうか。

事前に無駄だと分かっていれば、誰も無駄なことはしませんから。

そして、コストになるからと、最初から実践しない、というのは、本末転倒も甚だしいです。

利益か、コスト削減か、という二項対立にしている時点で、発想が滞っています

コスト削減と同様に、利益か、コスト削減か、という二項対立にして語る人がいます。 どちらが重要か、みたいな論考ですね。

これに関しても、先ほどの章と同じですが、意味を成さない議論ですよね。

「1=1」と言っているようなものだと思います。

そんなこと言う人はいません。

それは、当たり前のことだからです。

なので、結論としては、どちらも重要なのは、当たり前なので、語る余地もない、というこ とです。

そして、「利益か、コスト削減か」以前に、なぜ、それを語っているのか。というところに「 疑いのまなざし」を向ける必要があります。

ところで、コストって何ですか?

さて、「コスト削減って不思議な言葉だな」ということと、「利益か、コスト削減か」という議論は、「1=1」と同じことだな、という話をしてきました。 ところで、ここまで語ってきたコストって何なのでしょうか。

”「私、人間なんです」と相手に、いちいち言いますか?”の章でも、少しお伝えしましたが、 何をもってコストとするのか、時と場合によって、変わってくるからです。

今日、無駄だったことが、明日、有用になるかもしれません。

反対も同様に、起こりえます。今日、有効だったことが、明日は通用しなくなる。どちらかというと、こちらのほうが多いかもしれません。

なので、世間が変化しているにもかかわらず、自社だけ変化せずに止まっているとしたら、 どうでしょうか?

別のページでも、書きましたが、朝令暮改は当たり前で、その都度、変化させながら考え続 けていく必要があります。

そして、コスト削減が目的になったら、全く意味がありません。 それは、自社都合の動きでしかないからです。

結局のところ、相手のためになっているかどうか、その点はどんな時代になっても、考えておく必要があります。

反対に、それがあれば、ペーパレスだろうが、アナログに郵便で書類を送ろうが、どちらでも正解になりうるからです。

正解がないからこそ、アナログではありますが、相手に相談したり、ここは無駄な気もする ので、お互いにやめてみませんか、と話をしてみても良いのではないでしょうか。

むしろ、こういったこと1つとっても、気軽に相談できる間柄であることが、取引先との友好な関係維持につながっていると考えます。

そして、自社の長期にわたる繁栄にも、つながっていきます。

刺し違える覚悟を持てないと、相手にも貢献できないし、利益を得ることもできない

ここまでみてきた通り、コストを削減するだけでは、生き残っていくことはできません。

オセロや囲碁将棋でも、そうだと思いますが、守ってばかりいても、勝ちには至りません。

相手の陣地に、自ら踏み込んでいく必要があります。

少し前の話になりますが、オリンピックでフェンシングをやっていました。

フェンシングをやったことはないので、専門的なことは全くわかりません。

しかしながら、当たり前のことなのですが、1つ気がついたことがありました。

それは、剣の先を相手に当てて、相手からポイントを得るためには、相手の剣が自分に刺せ る範囲に、自らも踏み込まなければならないことです。

言い換えれば、刺し違える覚悟が無ければ、永遠に勝つことはないということです。

コスト削減だけに目を向けていることは、相手に剣が届かないところで、相手に向かって剣を振り回しているようなものです。

意味がないですよね。

利益どころか、剣を振り回して、何かをやったフリをしている分、たちが悪いかもしれません。

自らが刺されるリスクはもちろん、実際に刺されたとしても、思いっきり相手に貢献できて、利益を得ることができるとしたら、差し引きでプラスです。

相手のために、というと、おこがましいかもしれませんが、相手に貢献できて、自社に利益をもたらすとしたら、覚悟を決めて勝負をすることも大切です。

これを読んでいる方に、創業者の方がいらっしゃれば、なぜその会社を立ち上げたのか、振り返る良い機会かもしれません。

おそらく、創業者の方であれば、会社を立ち上げてから、今まで生き残らせてきた立役者ですから、今までに様々な刺し違えの場面もあったかと思います。

文字通り、頭脳が切れるほど考え、血を流しながら、会社を守ってきたことと思います。

ここまで来ると、利益とコストは一心同体で、必要に応じて、フェンシングのように踏み込 んだり、下がったりしているはずです。

だからこそ、どちらが必要ということもなく、どちらも不可欠な両輪であって、場合によっ ては、踏み込んでいく必要があることをお伝えしてきたのです。

まとめ

さて、「私、人間なんです」と相手に、いちいち言いますか?というところから、いろいろな 視点をもとに、利益とコストについて考えて参りました。

当たり前のことについては、いちいち言わないので、「コスト削減」と言っている時点で、当 たり前のことになっていないことについて、触れてきました。

そして、コスト削減は、相手ありきということも、お伝えしてきました。

ここまで読んでくださった方には、当たり前のことで「1=1」も同然ですよね。

むしろ、コスト削減も含めて、ちょっとしたことでも相談できる間柄こそ、利益もコストも 超えた友好的な関係であり、長期に渡って、ビジネスを共同していくビジネスパートナーと言えます。

それから、コスト削減だけに目を向けていることは、相手に剣が届かないところで、相手に向かって剣を振り回しているようなもの、ということを、フェンシングを例に、書いて参り ました。

さらに、利益を得るには、刺し違える覚悟が必要であることもお伝えしました。

これもフェンシングの例でしたが、自らが得点をするために、相手に剣を刺すには、自らも相手から刺される位置に、踏み込む必要があることに触れました。

忘れがちではありますが、利益とコストは表裏一体の部分もあり、刺し違える覚悟をもとに、相手陣地に踏み込んで初めて、利益が得られるとも言えます。