はじめに。

今回のテーマは、「世界の明晰化」ができる経営の専門家について、お伝えしていきます。

よく「スペシャリストとゼネラリスト」という、二項対立で話が出てきますし、サラリーマンのキャリア形成において、この考え方がよく用いられてきました。

ですが、もはや、サラリーマンのキャリア設計という考え方そのものが、時代遅れとなりました。

そのため、社員を雇う経営者は、今までと比較して、自らの会社経営と社員との関係性について、考えを深める必要が出てきました。

今ある職業斡旋会社や転職サイト、転職エージェントなども、こうした大きな潮目を無視し続けているような会社から、淘汰される時代に入っていると言えます。

では、今までの時代の考え方では、通用しなくなってきている現在において、「スペシャリストとゼネラリスト」という存在を、どのようにとらえていけばよいのでしょうか。

今回は、この点からお話を始めたいと思います。

「今までの時代の考え方では、通用しなくなってきた」という錯覚。

「スペシャリストとゼネラリスト」という存在を改めて、とらえ直す上で、ひとつのきっかけになるのは、「今までの時代の考え方では、通用しなくなってきた」という考え方を見直すことです。

私たち人間は、「過去」「現在」「未来」という時間軸を持って、日々生活しているわけですが、「現在」は、一瞬にして「過去」になり、「未来」は、一瞬にして「現在」になります。

このような仕組みの中で、「過去」「現在」「未来」という時間軸に、どれだけの価値があるのでしょうか。

疑う必要のある視点と言えます。

そして、それは「今までの時代の考え方では、通用しなくなってきた」という考え方も同様です。

「今までの時代の考え方では、通用していた」時代など、1度として訪れたことがあるのでしょうか。

よく、日本において、歴史や過去の視点から物事を考察する時、部分的な視点になることが多いです。

例えば、今挙げた「今までの時代の考え方が通用していた時代」を、戦後からの復興時期である1950年代後半からのことを指し示す人もいれば、高度経済成長期である1960年代後半から1970年代前半にかけてを示す人もいます。

あるいは、バブル期とされている1980年代後半から1990年代前半を指し示す人もいるでしょう。

ですが、一般的に言われがちな、これらの時代では、本当に過去の時代の考え方が通用していたのでしょうか。

そんなわけがありません。

プライベートにおいて、特定の時代や人物が好きで、このような考え方に引っ張られるならまだしも、経営的な視点で物事を見る時に、このような誤りは軽視することができません。

理由は、その視点が、現在においての経営判断を、誤らせるきっかけとなりうるからです。

「そんなのただの勘違いではないか」と憤る人もいるかもしれません。ですが、物事の視点や見方というのは、「一事が万事」です。

全てにおいて、その経営者の思考や視点というものは、プライベートや仕事といった場面で、切り分けられるものではありません。

経営的戦略眼を、プライベートの時はオフにするということはできますが、そういった視点を持っていない人が、仕事の時だけオンにすることはできないからです。

そもそも持ち合わせていないのだから、当然のことと言えます。

では、「スペシャリストとゼネラリスト」とは、一体どのような存在のなのでしょうか。

次にこの視点について、考察していこうと思います。

「スペシャリストとゼネラリスト」を見つめる経営者とは何か。

この点については、以前にも記事で触れてきましたが、経営者は「スペシャリスト」であり「ゼネラリスト」です。

では、何の「スペシャリスト」であり「ゼネラリスト」なのでしょうか。

それはもちろん、会社経営に関してですね。

そして、会社における実務には詳しくなくとも、どのようにして、会社の舵取りを担っていくかを思考する、孤独な職業であることも以前お伝え致しました。

では、何をするのが、「スペシャリスト」であり「ゼネラリスト」たる経営者と言えるのでしょうか。

それは、「世界の明晰化」です。

「スペシャリスト」であり「ゼネラリスト」である経営者は、会社という組織を通じて、顧客に貢献し、その対価としてもらうお金によって、日々の運営を担っています。

ですが、経営者の仕事そのものについては、ブラックボックスに包まれていることもしばしばです。

人脈づくりや仲間づくりと称して、遊び歩いている経営者も、以前ではたくさん見かけましたが、現在ではほとんどその姿を見ることはありません。

理由は、知り合いや仲間みたいなつながりで、仕事を回せるほど、余裕がない企業がほとんどであることと、そもそもサービスや商品に価値の無いものを提供している所とは、付き合わないからです。

業界や分野にもよりますが、顧客にとって、利益をもたらすような提案やプロダクト、サービスを提供できないところは、いくら人的なネットワークがあったとしても、そこに仕事を依頼することはあり得ません。

仲良しだからといって仕事がもらえるほど、世界は甘くはないからです。

では、「世界の明晰化」ができている経営者は、一体どのような視点を持っているのでしょうか。

最後に、そこに触れて終わろうと思います。

「世界の明晰化」ができる経営者。

結論としては、「世界の明晰化」ができる経営者は、日々「世界の言語化」と向き合っています。

顧客に対して、世界をクリアに見せて、報酬を得るためには、それを言語で表現する必要があります。

ですが、同時に、言葉では言い表せられないような事象についても、言語で表現する必要があります。

例えば、言語化によって語ることはもちろんですが、同時に、語っていることを通して、語っていないことをも「にじませる」経営者こそ、「世界の明晰化」ができる経営者と言えます。

これは、しっかりと言葉にして顧客に伝える中で生じる、自社が出しているサービスや商品以前の、それらを通して担っている社会的な責任や、顧客に対する責任を醸し出すことにも似ています。

本当に「社会的な責任や顧客に対する責任」を背負っている経営者は、安易に「責任持ってやります」などとは言わず、その面持ちや所作のひとつひとつから、自信と姿勢を示すものです。

言葉の外にそれが現れていて、逆に、それが言葉の外側に出てこないようであれば、それを顧客に提供することは難しいということも、同時に言えます。

おわりに。

今回のテーマは、「「世界の明晰化」ができる経営の専門家」というテーマでお送りしていきました。

運営している会社は、何かしらの専門であることは確かです。

ですが、同時に、それは業界横断的、かつ業務横断的な幅広い知見が試されていることも確かです。

言い換えれば、経営者に求められていることは、何かの専門であることではなく、何かの専門家を、必要に応じて探し出し、適切なタイミングと適切な資金管理でもって、経営を担うことなのです。

その点で言えば、経営者とは、最強のスペシャリストであり、スーパーゼネラリストである、と表すこともできると言えます。