さて、今回は、言葉の音と実際の意味は、人によって異なっているというお話です。

どういうことかというと、例えば「青信号」はどうでしょうか。

「青」信号と言われて、想像する実際の色は、どのような色でしょうか。

検索するとウェブの色見本を見ることができるのですが、「青」1つとっても、それを指し示す実際のカラーは、人それぞれ思い思いのカラーを想像します。

青には、〜と、色々な名称のカラーが存在しています。

いま、青色を例にしてお話しましたが、この現象は、色に限ったことではありません。

普段使っている何気ない日本語の中にも、自分の相手で意味するところが違う日本語が、たくさん転がっているのです。

この記事では、自らと相手が持つ言葉の違いについて、書いていこうと思います。

月がきれいですね。

夏目漱石が、「I LOVE YOU」を訳した言葉とも言われている「月がきれいですね」

これがどうして「相手の人を愛している」ことを伝えるのに用いられるのでしょうか。

これをお読み頂いている方には、ぜひとも考えてみてほしいのですが、答えは当然ありません。

理由がつけられて、それが誰もが納得できるようなものであれば、それで構いません。

文字通り意味をとるのであれば、「月がきれいだ」という事実を、相手に語りかけているだけです。

それ以上でも、それ以下でもありません。

でも、日本語のネイティブの人であれば、多くの人が、「月がきれいですね」=「I LOVE YOU」ということを知っています。

冒頭に挙げた「青」の事例でもそうなのですが、この月の文章の場合も、伝わる場合と伝わらない場合があります。

相手の人が、この意味を知らなければ、言った人の思いは伝わりません。反対に、受け手の人が知っていたとしても、言った本人は、単純に満月のきれいさを、相手に伝えたかっただけかもしれません。

このように、言葉には、表向き(表面的)な意味と、裏向き(暗示的)意味の2種類の側面が備わっていると言えます。

そして、それが自らと相手の錯誤や勘違いを生み出していると言えます。

2+3=6

では、論理の代表格ともいえる数学ではどうでしょうか。

一見すると、完璧に論理で埋め尽くされていて、「月がきれいですね」のように、言葉の意味を取り違えるような、そういう間違いは起きないように見えます。

ですが、そうでもないことが、今から紹介する事例を見ると、よくわかります。

例えば、「2」という数字があります。

「2つ(2個)」という意味ですよね。小学生の時に、初めて足し算を習う時、おはじきなど、実体のあるモノを使って、概念を理解する練習をしましたよね。

でも、この「2」という記号は、〇〇(2つ)を示すのが、本当なのでしょうか。

これは、よく考えるとわかる話なのですが、今、小学生の時に「習い」ましたよね?と書きました。

そう。これも、後から習ったものに過ぎないのです。言い換えれば、「2」という記号は、別に10個という意味でも、全く問題ありません。

もう1つ、例を出してみます。

2+3=6

この数式はどうでしょうか。

間違っているよ。と指摘されてしまいそうですよね。

では「+」という記号が、地球でいうところの「掛け算」を意味するルールに変わると、どうなるでしょうか。

「+」は「掛け算」という意味だから、「2+3=6」は合っていますよね。

「+」という記号は、「足し算」というルールだから、最初は間違っていましたが、「+」という記号が「掛け算」を意味するルールに変わった瞬間、正解になりましたよね。

このことからもわかる通り、最初から決められた事実など、存在しないと言えます。

「+」は足し算かもしれないし、掛け算かもしれないし、ただの飾りで書いてあるだけかもしれないのです。

決められた意味など存在しないと考えると、普段使われている言葉も、本当にそういう意味で使われているのか、疑わしくなってきます。

その会社だけを選ぶ理由。

さて、これまで「月がきれいですね」という文学の側面と、「2+3=6」という数学の側面の両面から、言葉のあいまいさについて、触れてきました。

なぜ、こうした文学の側面と数学の側面の両面から、言葉についてとらえてきたか。

それは、言葉をあつかうには、文学的な美しさと数学的な論理の両面が必要だからです。

どちらが欠けても、不十分になってしまいます。

経営者の方であれば、物事を論理的にとらえることは、もはや基礎中の基礎かもしれません。

そうでなければ、会社はとっくに潰れてしまっているからです。

でも、論理的なだけでは、誰もその会社を選んで取引をしてくれても、価格が安くて同じようなクオリティのところがあれば、そちらに流れてしまいます。

言い換えれば、その会社を指名して選ぶ理由がないので、価格の要素に、顧客を奪われてしまいます。

大企業ならいざ知らず、それ以外の企業であれば、価格だけで勝負していたのでは、同じような会社・業界業種と一緒にされてしまい、選ばれることはありません。

だからこそ、論理的のその先にある文学的美しさが、その会社を選ぶ理由になりうるのです。

おわりに。

これまで、「青信号」の「青」の違いに始まり、「月がきれいですね」という文学表現と、「2+3=6」の論理について、触れて参りました。

一番大切なのは、それぞれの具体的な事例ではなく、全ての取り巻く抽象的な概念が思考できるかどうかで、見えてくる視点は変わってきます。

今回の場合で言えば、紹介した事例が大切なのではなく、そこに共通してくる抽象概念です。

理由は、具体的な事例だけを見ても、例外を知るだけで、本質的な思考や指摘を行うことができないからです。

つまり、具体的な事例だけを見てしまうと、それぞれの事例の共通項や、その業界や分野、あるいは世界そのものが、どのような世界になっているか見ることができなければ、行き当たりばったりの対応策に終始してしまうということです。

そのため、それぞれの事例における「言葉の意味の流動性」を理解できると、これまで書いてきたこともつながってくると思います。

言い換えれば、「言葉の意味が揺れている」ことを知ることで、改めて言葉を扱うことを見つめる視点を持つことができるということです。