はじめに。

今回は、「人生の意味」という言葉について、考えていこうと思います。

同様のカテゴリーの中には、「生きがい」とか「やりがい」とか、経営者の中でも、ちまたで表現されているものを一周した上で、改めて考える機会があるようです。

テーマである「人生の意味」という言葉ですが、今回のテーマとして、「人生の意味」ではなく、「人生の意味」という言葉と致しました。

理由は、「人生の意味」は、人それぞれに考えれば良い問題ですし、こちらで何かを言うテーマでも無いからです。

そもそも答えのない世界ですし、社会のルールを遵守した上で、自分で考えて実践することであれば、どのような実現方法・内容であったとしても、それは個人の自由です。

ちなみに、今回は「自由」という言葉に関しても、ひとつの章を立てて、触れていきます。

なぜなら、「人生の意味」という言葉と同様に、「自由」という言葉もまた、「自由とは何か」ではなく、「自由」という言葉とは何か。ということを考えていくことが、かえって「自由とは何か」を考えることになるからです。

「人生の意味」という言葉について。

さて、さっそくですが、人生とは何でしょうか。人の一生とか、生まれてから死ぬまでとか、いろいろと表現することができますね。

では、意味とは何でしょうか。

その言葉の内容とか、具体的な事柄ですね。

今挙げた「人生」という言葉であれば、意味は「人の一生」とか「生まれて死ぬまで」のように、表現しているところです。

「人生」という言葉は、具体的な対象物があるようで無いような言葉ですが、言葉にはいろいろなタイプがあります。

1つは、今挙げた「人生」のように、現実世界に具体的な対象物があるような無いような言葉です。

もう1つは、現実世界に具体的な対象物があると思われている言葉です。

「りんご」という言葉には、「りんご」というモノがありますね。

言葉には、言葉の対象となる具体的な概念(モノ)が存在します。

でも、その関係性には、ズレや曖昧さも含まれています。

どういうことかと言うと、例えば、「青」という言葉があります。

「青」という言葉から、実際には「ブルー」の色を想像する人もいれば、「グリーン」の色を想像する人もいます。

「青」信号って、別に「ブルー」の青ではなく「グリーン」の青ですが、普通に通用しますよね。

今の例のように、言葉にはズレや曖昧さを含んだ「揺れ」があるのです。

その考えは、どこからやってくるのか?

では、言葉にはズレや曖昧さを含んだ「揺れ」があることと、「人生の意味」という言葉を考えることに、どのようなつながりがあるのでしょうか。

それは、なぜ「人生の意味」という言葉について考えているのか。という根本的な問題に行き着きます。

そして、今回の場合、「人生の意味」という言葉を考えるのは、「人生の意味」について、自分なりに考察するためです。

答えは百人百通り合って良いですが、問題の考え方の例を示すことは、「人生の意味」への思考を妨げるものではありません。

むしろ、その考察がより良いものとなるために、出発点として「人生の意味」という言葉について考えているわけです。

ただ、「人生の意味」を考えるに至った背景が、これを読んでいる方にはあると思います。

では、その考え方は、どのように生まれてきたのでしょうか。

自分で考えたように思える「自分の考え」であっても、それは今まで生きてきた環境や境遇、現在の立ち位置や業種業界など、ありとあらゆる要因に影響を受けて、その考えに至っています。

そう考えていくと、「自分の考え」というものが、本当に「自分の考え」なのか、怪しくなってきます。

自分で考えたように見えて、その考えが、外部の環境によって「そう考えさせられている」のであれば、その考えが自分のものかどうか、疑わしくなるからです。

「自由に考える」という言葉の「自由」について。

では、どのようにすれば自分の考えになるのでしょうか。

今までの章と同様に、「自由に考えるとは何か」ではなく「自由に考える」という言葉について、考察していこうと思います。

先ほどの章でも記してきたように、「自分の考え」とは、本当に自分で考えたものになっているのか。というところから、この章のテーマ設定になっています。

ただ、ここで大切なことは、疑いも無しに「自分で自由に考えている」と考えることと、外部環境によって「考えさせられている」ということを知った上で、「自分の考え」を追求していくことは異なります。

言い換えれば、「考えさせられている」ことと「そこから離脱する」ことは、違うということです。

そして、この両者の境界を分けている線にもまた、曖昧なものとなっています。

なぜなら、この説明の元となっている「言葉」そのものに、先ほども挙げた「揺れ」があるからです。

ですが、同時に、この世界は「言葉の揺れ」によって、成り立っている世界でもあります。

なので、そこを知った上で、そこから逃げるように、「言葉の揺れ」を用いていくことができれば良いことになります。

続・「人生の意味」という言葉について。

これまで、さまざまな角度から、いろいろな所を経由して、「人生の意味」という言葉について考察してきました。

なぜ、このような遠回りにも見える工程をたどってきたかと言うと、どのような問題もまた、「言葉」の問題に行き着いてしまうからです。

そのため、問題を考えるために、問題となっている概念の「言葉」に着目することにより、問題に影響を与えるという方法を取って参りました。

問題を解決しようと思った時に、つい問題そのものを見てしまいがちです。

しかしながら、問題そのものをいくら見ても、問題を抜け出す糸口は見つかりにくいです。

理由は、問題を抜け出すためには、問題の外側にある事柄について、目を向ける必要があるからです。

「人生の意味」という概念に注目するのではなく、「人生の意味」という言葉を出発点として、それらの抱えている問題を解きほぐし、解決の糸口を探る。

そうした一見すると遠回りに見えるアプローチもまた、問題が抽象的であればあるほど、効いてくると言えます。

おわりに。

さて、今回は「人生の意味」ということをテーマに、書き記して参りました。

今回お伝えしたかったのは、問題を考える時に、問題の答えを考えようとするのではなく、問題の前提となる条件について、まずは整理してみるということです。

世の中には、様々な問いかけがあります。「〜とは何か」「〜の方法」「〜とは?」などなど、いろいろと存在します。

でも、まずその前提となっている要素は何か。というところに、目を向けておくという思考を紹介している記事は少ないように思います。

理由は、この考え方が、言葉で説明するとわかりにくい部分があるからです。

抽象的な概念であるために、今回も細かく書き記して参りました。

ただ、正直なところ、右肩上がりに理解が進むものでもありません。理解しにくい部分も多々あるかと思います。

しかしながら、ここを超えていく過程さえも、「人生の意味」を探索する上で、必要な道のりであると考えております。