はじめに。
今回は、「オリジナリティを出そうとするから、どこかの二番煎じになってしまう」というテーマで考察していきます。
商品やサービスの開発、広告、日々の情報発信に至るまで、様々な部分で取り上げられるのは、「差別化」です。
そして、差別化をしようとする時に、必ず問題となるのが、その企業らしさ。言い換えれば、オリジナリティと言えます。
ところが、違いを出そうとすればするほど、どこかで見たような二番煎じ商品(サービス)が生まれてしまうこともしばしばです。
作り手の都合で作られたオリジナリティは、買う側からすれば、どれもささいなポイントのひとつでしかなく、どれを買っても同じなので、価格における比較になってしまいます。
では、どのようにすれば、そのような事態は避けられるのでしょうか。
今回は、そこから考えていきたいと思います。
そもそも「オリジナリティ」とは何か。
何気なく用いられている「オリジナル」という言葉ですが、そもそもどういう意味なのでしょうか。
辞書を見てみると「独創的」という意味や「原作」という意味が出てきます。
では、その「独創的」な商品や、「原作」と評されている作品は、「オリジナル」なのでしょうか。
ちなみに、ここでいうところの「オリジナル」は、唯一無二という意味です。
いかがでしょうか。
もう少し身近なところで考えてみると、例えば、音楽があります。
「独創的」な音楽、オリジナル音源など、その作品の世界観とか、原曲という表現がされるのも、音楽の世界が多いですね。
さて、では、今ここに記した「独創的」な音楽、「オリジナル」音源は、人間の聴力で聞き取ることができるのでしょうか。
考えるまでもなく、聞き取ることができますよね。
わざわざ、この部分を確認したのは、一般的に言われている「独創的」な音楽、「オリジナル」音源といった表現は、あくまでも「人間に聞き取れる音」で作られるというルールに基づいています。
それに加えて、基本的には、音楽に用いられている楽器は限られていますし、音楽の表現にもよりますが、楽譜は世界共通ですよね。
言い換えれば、楽譜と同じ機材があれば、世界のどこの誰であっても、全く同じ音楽を再現することができます。
では、オリジナル音源や「独創的」な音楽という表現は、どこからやってくるのでしょうか。
次の章では、その部分について、考えてみたいと思います。
オリジナル音源とコピー音源の違いとは何か。
前の章で記したように、楽譜は世界共通で、機材や人をそろえれば、基本的に、全く同じ音楽を再現することができます。
そのような状況になってもなお、オリジナル音源とコピー音源という区別は存在しています。
また、別のアーティストに提供した自分で作った楽曲を、自分で演奏して自分で歌うと、セルフカバーと表現することもあると思います。
オリジナルとコピーの間には、どんな違いが見えるのでしょうか。
そもそもオリジナル音源は、オリジナルではありません。
盗作という意味ではなく、そもそも1つとしてオリジナル音源というものは、存在し得ないからです。
なぜそう言えるのでしょうか。
理由は、オリジナル音源を構成している音(音階)が、すでに、自分で生み出したものではなく、過去、誰かが生み出したものを用いて、そのオリジナル音源を表現しているからです。
言い換えれば、先人のコピーを用いて、新しく自らの世界を音で表現しているに過ぎないのです。
もちろん、この事実は、現在ある全ての音楽の地位を、おとしめるものでもなければ、批判するものでもありません。
なぜなら、この事実は、音楽に限った話ではないからです。
次の章では、現代の作品が、先人のコピーを基盤として成り立っている部分について、考察していきましょう。
不朽の名作である文学作品でさえ、先人のコピーを基盤とした作品。
音楽や美術といった芸術関連を例に、この前の章では触れてきましたが、この仕組みは、文学作品においても同じです。
なぜそう言えるのかというと、文学作品について言えば、過去、誰かが開発した「文字(日本語)」という言葉をもとに、その作品を生み出しているからです。
そして、この「コピー」と「オリジナル」という言葉によって、問題を難しくさせていることもわかってきます。
なぜなら、一般的に、「コピー」よりも「オリジナル」が優れていると思われていますが、その「オリジナル」は、先人の「コピー」を基盤にして創られているからです。
今回のテーマである「オリジナリティを出そうとするから、どこかの二番煎じになってしまう」というのは、「コピー」と「オリジナル」という言葉に囚われてしまったために、出てきてしまっている問題と言えるのです。
そのため、裏を返すと、「コピー」と「オリジナル」という言葉が、どのような性質であるかが分かれば、この問題を解決することはできなくても、対応することができると言えます。
最後に、この部分について触れて、今回のテーマを終えることにしましょう。
おわりにー「オリジナル」は「コピー」でできていると知る。
これまで見てきたように、この世の中には1つとして、「オリジナル」なものは、存在しないことがわかりました。
また、「オリジナリティ」は、「コピー」の上に成り立っていることも見えてきました。
一見すると遠回りなように見えて、そもそも「オリジナル」という存在と言葉について考えることは、「差別化」を図ろうと苦戦するところから、離脱するための近道であると言えるのです。
なぜそう言えるのかといえば、「コピー」もまた「オリジナル」の存在をもとに、存在しているからです。
別の表現で記すと、「コピー」は「オリジナル」が存在しないことには成立しないのですが、「オリジナル」もまた、「コピー」がなければ存在しないということです。
違いを出そうとすればするほど似てしまうならば、どんどん真似して「コピー」を重ねていくと、それがいつか「オリジナル」になると思う方もいらっしゃるかもしれません。
ですが、残念ながら、それも不可能ではないにしても、かなり難しい道を歩むことになります。
この部分については、今回の記事を振り返りつつ、「コピー」と「オリジナル」の分岐点について考えてみると、自社の商品やサービスの「オリジナル」性が高まると言えます。