はじめに。
今回のテーマは、「なぜ請求書はPDFではなく、紙で封筒で送られてくると安心するのか」ということでお送りしていきたいと思います。
現在では、ありとあらゆることが、オンラインやデジタルなものによって、置き換わっています。
でも、いまだに請求書だけは、PDFではなく、わざわざ紙に印刷して、封筒に詰めて、切手を貼って、ポストか郵便局まで持参して、郵便屋さんに届けてもらっています。
ウェブ関連の仕事をしていると、そうしたこともすべて電子化されていて効率的ですよね、といってくださる方が多いのですが、実際には、そんなこともありません。
当方がウェブ関連だったとしても、請求書をどのような形で送ってほしいか決めるのは顧客であり、顧客の意向に委ねられているからです。
ただ、そもそも紙の請求書の「安心感」のようなものが、どこからやってくるのか。
今回は、その点から話を進めていきましょう。
紙の請求書の「安心感」とは何か。
PDFの請求書と異なり、紙の請求書は失くしたら最後、もう一度請求しないといけません。
ですが、領収書と同様に、そう易々と何度も発行できませんので、事実上、失くせば一発アウトです。
捏造しては法律に触れてしまいますので問題ですが、PDFであれば事実上、何度も刷り直すことができます。
それをあたかも違う用途で用いた別取引として計上すれば、見事に犯罪者の仲間入りになると思いますが、
ちょっと見当たらないので、もう一回印刷し直すことができるという保険は、かけておきたい場面も多いです。
このように、一見するとハイリスクな「紙の請求書」ですが、
そのリスクを知ってもなお、多くの企業では、他のところではペーパーレス化が進みながらも、請求書だけは紙で印刷して送っているのも事実です。
これは、なぜなのでしょうか。
1つの理由を推察してみると、「紙」という物質と、郵便物として送られてくるという安心感が、人々をそうさせていると言えます。
見方を変えれば、「紙」という実物そのものに対して、ある種の「余白」を感じるからです。
Webページの制作などにも言えるのですが、この記事のように、長い記事で考えたことを伝えるというのは、もはや主流ではなく、
余白を持たせ、デザインについても、視覚的な直感性を基軸とした、わかりやすいレイアウトと紹介が求められています。
理由は、読み手の所属している現代社会があまりにも忙しすぎるのと、単純に「止める」ことが簡単な世の中になったからです。
では、「紙の請求書」に対して感じる「余白」と、「止める」ことが簡単な世の中の間に、どのような関連性があるのでしょうか。
次に、この点について、考えていこうと思います。
「余白」に対する安心感と、「止める」ことが簡単な世の中。
ウェブ上の文字や絵の情報は、簡単に見ることができますし、ほぼ0秒で、相手に届けることができます。
ですが、同時に、見ないこともできますし、見たとしても、すぐに止めることができる性質も兼ね備えています。
これを読んで頂いている方がお使いになっているメールにも、迷惑メールフォルダがあると思います。
意図的な迷惑メールにしても、大切なメールとして送ったにもかかわらず、迷惑メールフォルダに入ってしまう場合も、
一生読まれないまま消されるメールの存在があること自体は、ウェブの性質上、避けられません。
一方で、封書として届いた封筒の中の請求書は、未開封のまま捨てられてしまうということは、ほぼありえません。
手紙が届いたら、必ず自分のものであるかどうか確認した上で、すぐに開封し、何かあれば、すぐに連絡をするからです。
この時面白いのは、ローテクの最先端である郵便の返答として、何か問題があれば、すぐに電話したり、メールしたりしている点です。
いや、速達の郵便で返しなよと、思わないでもないのですが、不備があった際の連絡は、最先端技術が担っているのです。
自身もその世界の住人として、人間は真面目なんだか、不真面目なんだか、よくわからなくも、とても愉快な動物だなと感じる瞬間でもあります。
では、最後に、この人間の面白くも不思議な習慣を、別の角度から考察を加えて、この記事を終えたいと思います。
最先端科学のスマホを手にしながら、キャンプ場で火を起こす人間。
最近では、一人キャンプが流行っていて、キャンプ場は夏場だけではなく、春や秋、冬にも、にぎわっているところがあるようです。
そうした人が目をつけず、しかも、キャンプはみんなでするもの、というところから離れて一人で楽しむというのは、とても面白いと感じます。
同時に、タイトルでも触れましたが、荷物の中には、最先端のスマホがありながら、携帯ガスバーナーで火をつけられるところを、石でかまどを作って、木を拾って、松ぼっくりを火種にして、焚き火を楽しんでいるのです。
何なら、今書いたようなことを、スマホで調べながら、火を起こしているキャンパーもいるのではないでしょうか。
普通の森やロッジのコテージと異なり、キャンプ場には管理人の人が常駐しているはずですから、スマホで調べてわからなかったら、聞くこともできます。
でも、今まで書いてきたように、やってること謎ですよね。
そんなわざわざ苦労して火なんか起こさなくても、生きていけますし、携帯用のガスバーナーでも借りれば、一発で火は付きますから。
ただ、ここにも冒頭の「紙の領収書」と同じようなことが、隠れているように感じます。
というのも、人間の進化は、仕事や研究、狩りなどの、効率性の中から導かれたものではなく、
ガスバーナーで一瞬で着く火を、スマホで火起こしを調べながら、時間をかけて起こすといった、非効率性の中の「余白」から生まれてきたものだからです。
おわりに。
今回は、「なぜ請求書はPDFではなく、紙で封筒で送られてくると安心するのか」というテーマで、お送りしてきました。
紙の領収書の安心感もそうですが、スマホで調べながら火起こしをする情景は、何とも面白く、同時に、人間の可能性を感じる瞬間でもあります。
そして、こうした最先端を求めたり、原始的な回帰を求めたりしながら、今までには無かった「新しい余白」を生み出していくと言えます。