はじめに。
今回は、「業務日誌を、なぜ1日の終わりにまとめさせるのか」です。
そもそも、個人的には、「その企業の経営者が、なぜ日報を用いているのか」ということのほうが気になります。
ただ、この点については、後ほど考察を加えることにして、まず考えていきたいのは、この「業務日誌を、なぜ1日の終わりにまとめさせるのか」という点についてです。
前々から不思議だったのですが、なぜ日記や日誌は、業務に関わるものだけではなく、個人的なものを含めて、「1日の終わりに書くもの」という印象が強いのでしょうか。
今回は、この点から、考察を始めていきたいと思います。
日記や日誌を、「1日の終わりにまとめる」という考え方。
日記や日誌に限ったことではないのですが、なぜ「何かを省みる」のは、1日の終わりなのでしょうか。
とても不思議に思います。
というのも、日記や日誌を書くか書かないかは別にして、「何かを省みる」ことで1番大切なことは、「何かを省みた後に、どのように過ごすか」が重要だと考えているからです。
そのため、1日の終わりにまとめてしまうと、そこで業務が終了してしまうため、省みた結果を活かすことは、翌日以降に持ち越されます。
ですが、経営者の方に伺いたいのは、「昨日、省みたことを覚えていますか」という点です。
大学受験生に限らず、いかにして「記憶に残すか」という議論がなされがちですが、そもそも人間は忘れることで、生存を引き延ばしている向きがあります。
つまり、「忘れること」で、寿命を伸ばしているのです。
ということは、「忘れること」というのは、極めて本能的な機能の1つであるため、そう簡単に覆すことはできません。
でも、覚えておきたいこともありますし、覚えておかないと業務に支障をきたす出来事もあると思います。
では、どのようにすれば良いのでしょうか。
このようなことに、思考を向ける時に、やってしまいがちなのは、「努力して、何とかしようとすること」です。
しかしながら、さっきお伝えしたように、「忘れること」は極めて本能的な機能なので、無理して覚えようとしたところで、徒労に終わることは目に見えています。
そうなると、どのようなアプローチを加えていけば良いのでしょうか。
次の章では、この点について、考えていこうと思います。
無理して覚えるのではなく、「1日の終わりにまとめる」考え方を変える。
今まで考えてきたように、そう簡単に、人間の「忘れる」機能をオフにすることはできません。
むしろ、積極的に忘れていくくらいで、ちょうど良いとも言えます。
そのため、アプローチの仕方としては、人間の機能や努力による方法ではなく、自然とそうなる仕組みや方法そのものを考えるという考え方が、1つの方法としてあると言えます。
ここでは、日記や日誌を「1日の終わりにまとめる」という、今までの方法を変更してしまうという視点にしました。
もちろん、方法は何でも良いのですが、さっきも触れたように、日誌をつけることが「省みることを大切にしている」のだとすれば、
「省みること」で1番大切なのは、「省みた後に、何をするか」が重要であると言えます。
そして、「省みた後に、何をするか」が重要であるならば、「省みた後の時間が一番長くなる」朝に持ってくれば良いという結論を導きました。
具体的に言えば、朝一番に日記や日誌を書いた後に、仕事をするということです。
でも、それだと、何を振り返っていくと良いのか、わからなくなる人もいるかもしれません。
そう考えてしまうのは、その人が日記や日誌というものを、「1日の終わりにまとめるもの」と考えているからです。
ただ、当たり前かもしれませんが、業務をしていく中で、考える必要のあることってたくさんありますよね。
それは、具体的な些細なこともあれば、会社の業績に直結しかねない極めて重大なこともあるかもしれません。
でも、どちらにしても、それは1日の終わりであろうとも、朝一番であろうとも考える必要性が高いわけです。
であれば、それをテーマに、日記や日誌を書いてみれば、まったく別の役割に生まれ変わった日誌が出来上がると言えます。
そもそもなぜ日誌を書いたり、書かせたりしているのか。
これまで触れてきたように、そもそも日記や日誌は「1日の終わりにまとめるもの」という考え方が、いまいちよく理解できないというお話を、お伝えしてきました。
その理由として、その日記や日誌を、業務や自らの1日を省みるために書いているならば、
その「省みること」において、重要なことは、「省みた後で何をするか」だからです。
そのため、1日の最後に書いている日記や日誌を、朝一番にでも書いたら良いのではないか、という論考をまとめました。
ですが、ここで一番大切なのは、そもそも「その書いている日誌」は、しっかりとその役割を果たしているのか、という点です。
「何でそうなってしまうのだろうか」といつも気になる点なのですが、人間はやたらと言い訳と形式を作りたがります。
日記ならまだしも、仕事上の業務日誌においても同じことが言えて、「省みること」を目的としてやっているはずなのに、
業務日誌を適当にまとめる一般社員と、適当にまとめた業務日誌を添削することが仕事になっている管理者が、世間ではあまりにも多いように感じます。
そして、形骸化した形式は、さらに、違う形式を生んでいき、本来の目的からどんどん遠ざかってしまうのです。
そこで、1度形骸化した形式を、本来の形式と目的に戻すのはとても大変で、1日やそこらで何とかなる問題ではなくなります。
そうならないために、日誌1つとっても、日頃から疑いを持って見つめていき、直すべき点については、その都度修正していく必要があると言えます。
おわりに。
今回は、「業務日誌を、なぜ1日の終わりにまとめさせるのか」について、考察を加えてきました。
本来の目的と、形式が逆転してしまうことは、よくあることで、それを取り違えないようにするというよりも、
そもそも「なぜそれをしているのか」という根本的な疑いを、1つ1つ丁寧に抑える必要があると見ています。
うまく回らない原因のようなものがあるとすれば、それは、目的と形式を取り違えた「形骸化した化石の断片」が、業務のそこかしこで、邪魔をしているのかもしれません。