はじめに。
今回のテーマは、「世界の「カド」を丸くする」です。
よく人に対して、「丸くなったね」という表現をすることがありますが、これはよく考えると人間だけではなく、事業に対しても用いることができるように思います。
というのも、世にある仕事の多くは、世界の「カド」を丸くすることが仕事だからです。
中学校の時の技術の授業で、風呂で使う木の椅子を作ったことがあります。
材木加工の練習だったのだと思いますが、お風呂で濡らして使うとはいえ、材木そのものをそのまま使うことは危なくてできません。
座った際に、お尻を切ってしまうかもしれないですし、角をとがったままにしておけば、怪我をするかもしれないからです。
では、今回の記事における「世界の「カド」を丸くする」とは、どんなものであるか触れてから、考察を進めていくことにしましょう。
企業の生業(なりわい)は、世界の「カド」を丸くすること。
さて、今回のテーマでは、「世界の「カド」を丸くする」について取り上げていきます。
この記事では、世界の「カド」を世にある「不満や不便」と位置付けていきます。
先ほどの技術の風呂の椅子ではないですが、企業は自分のことを考えながらも、相手のことを考えることで生計を成り立たせています。
木の風呂椅子は、自分でも座ると思いますが、家族の他の人が座るのであれば、当然、その人がどうすれば怪我をせずに済むかを考えながら、制作していくことになります。
とがっていたら危ないので、やすりを丁寧にかけて、木の繊維を削り込んだり、頭をぶつけて怪我をしないように、角を取ることで、ぶつかっても衝撃が和らぐ設計を施します。
企業は、技術家庭科で制作する木の椅子のように、世界の中で、とがってしまっている部分を探し出して、それを丸くして提供することをしているとも表現できます。
そして、木の椅子と違うところは、その時代によって、その部分がとがっていたり、丸くなっていたりしていることです。
そのため、その瞬間瞬間で、丸くなっているかとがっているかを観察しながら、自社はどのようなことをやって言えば良いかを見定める必要があります。
これは、かつて帆船を用いていた時代に、風が来る時期を待ってから船を出す「潮待ち」の文化にも似ているところがありますね。
「生きる」を「死」から考える。
さて、前の章では、「企業の生業(なりわい)は、世界の「カド」を丸くすること」でしたが、これは、企業も個人もひとつの生命体であると見た場合、考えることができる視点があります。
それは、この章のテーマである
「生きる」を「死」から考える。
です。
企業においても、個人においても、生命体をどのようにして存続させるか。という視点に行きがちです。
言い換えれば、どのようにして「継続」するか、が焦点になってしまっているのです。
ですが、生命体である企業や個人は、「死」を避けることはできません。
それにもかかわらず、「死」を忌み嫌い、考えることを避けている場合も、多く見受けられます。
ただ、「生きる」を考えるからには、対になっている「死」を見つめないと、本当に「生きる」を見たことにはなりません。
どうすれば死ぬかを考えることによって、どう生きていくかがわかると言えます。
スペシャリストとゼネラリスト。
少し話を考察を加えていこうと思いますが、ビジネスにおいて、よく「スペシャリストとゼネラリスト」という話が出てきます。
どちらが良いのか、という話ですね。
ですが、経営者に関して言えば、ゼネラルスペシャリストであり、スペシャルゼネラリストであると考えています。
どういうことかと言うと、その場面場面で、闘牛使いのマントのように、ひらひら変わると言うことです。
作業量が超過集中してしまっているところに、労力を適宜補い、全体最適を図る物流マンのような感じとも言えます。
ちなみに、経営者は経営の専門家であって、その業種や職種の専門が出なくても良いことになります。
現場に精通していることも大切ではありますが、それ以上に、その会社を成り立たせるために考えることが最も大切だからです。
そして、経営者の活動を支えるのは、知識でもなければ経験でもありません。
最後に、これについて考察を加えて、今回の記事を終えることにします。
世界の「カド」の専門家。
では、経営者は、何をしているのか。と言う話です。
それは、これまで見てきた通り、今回のテーマでもある「世界の「カド」の専門家」ということです。
経営者はスペシャリストでもなければ、ゼネラリストでもありません。
そして、先ほどの章で取り上げた「ゼネラルスペシャリストであり、スペシャルゼネラリスト」についても、語弊を招きやすい部分があるため、そこについて説明していきます。
というのも、この言葉は、一見するとスーパーマンのような、全てにおいて精通している超人的な存在であるかのような印象を与えてしまうからです。
実際に、そのような方もいらっしゃいますが、実際には、普通の人間である経営者がほとんどです。
さて、では「普通の人間」である経営者は、どのようにして「世界の「カド」の専門家」になるのでしょうか。
それは、世界を「引く」力です。
言い換えれば、自分がその分野の専門家ではなかったとしても、その分野の専門家を探し出し、自身の事業に適応させるために、辞書や百科事典のように、世界から引っ張り出す力が必要であるということです。
経営者自身がある特定の分野や職種の専門家になることが必要なのではなく、必要に応じて、その時必要な専門家やチームを見つけ出す力が、経営者には求められています。
その場に応じた助っ人や知見を、的確に見極めて世界の「カド」を丸くする。それが、世界の「カド」の専門家である経営者の仕事であると言えます。
おわりに。
さて、ここまで世界の「カド」を丸くすることが経営者の仕事であり、世界の「カド」の専門家であるというお話をしてきました。
世界を「引く」力が、経営者に求められているとすれば、経営者は「世界の「カド」の専門家」であると同時に、「世界の「カド」の素人」である必要性も感じます。
というのも、その業務に関して精通していないことが、世の中で見逃されている世界の「カド」のヒントであることもあるからです。
こうして見ていくと、ゼネラリストであり、スペシャリストであり、専門家でもあり、素人でもある存在が経営者である、と表現することもできます。