はじめに

今回のテーマは、「どんぐりの木に支配された、森の小動物」ということで、お送りしていきたいと思います。

よく自然界を説明する時に、ピラミッド型の図式をすることが多いと思います。

三角形があって、下の層にプランクトンから始まって、それを捕食する植物、その植物を捕食する草食動物、その草食動物を捕食する肉食動物といった具合です。

そのため、こういった説明を受けると、あたかも上の層が、下の層を支配しているような錯覚にとらわれます。

現に、上の層は、下の層の動植物を捕食できる力を持っているのですから、一見すると正しい見方です。

ですが、ここにはある見落としがあって、そこを知ると知らないとでは、自然界の理解だけではなく、人間界における世界の仕組みの理解も変わってきます。

今回はこの部分から、お話をスタートしていきましょう。

どんぐりによって、命運を握られた森の小動物。

さて、冒頭の例ですが、実際には、そうとも限りません。

具体的な例で考えてみましょう。

あるメディアで、こんなことを紹介していました。

「どんぐりの木が、年によって落とすどんぐりの量を増減させることで、種の存続を図っている」

ということです。

お米の収穫量が年によって増減するように、どんぐりの木も、その年の気候や条件によって、「自然と」どんぐりの実の量が変わっているように思うかもしれません。

ですが、実際にはそうではなく、どんぐりの木が「意図的に」、どんぐりの実の量を調整しているようなのです。

通常、どんぐりの木の実は、森の小動物たちによって食べられます。

そして、食べられて消費されたどんぐりからは、新たなどんぐりの木が生えてくることはありません。

そのため、森の土にたどり着くどんぐりの実を増やすために、年によって、どんぐりの量を調整することで、どんぐり自身の生き残りを図っているのです。

では、どのように調整をしているのか。

例えば、こんな感じです。

※※

1年目に、ほどよく実を落とし、森の小動物に食される。(落とした木の実の多くを、食べられてしまい、食べられずに生き残ったどんぐりの実だけが、木となることができる。)

2年目に落とすどんぐりを減らし、森の小動物を死滅させる。

3年目に、森の小動物が減ったところで、生き残った小動物が食べきれないくらいの大量のどんぐりを落として、どんぐりの新しい種をつなぐ。

※※

こんな風になっているようなのです。

こう見ていくと、捕食する側の森の小動物が、どんぐりの命運を握っているのではなく、どんぐりによって、森の小動物の命運が支配されていると言えます。

人間は何によって、支配を受けているのか。

前の章で見てきたように、森の小動物がどんぐりを支配しているように見えて、実は、どんぐりが森の小動物を支配していることがわかりました。

では、これを人間界に置き換えて考えてみると、どうでしょうか。

いろいろな回答があると思いますが、例えば「影響力」というものに、支配を受けることが多いですね。

わかりやすく言えば、「権威」です。

そうでなければ、「虎の威を借る狐」ということわざも、意味を成さなくなります。

狐自身に実力があれば、権威を借りてこなくても、自律して、自らの権威を示すことができるはずですし、

「権威」という概念が存在しなければ、現在の世界のような、「支配するものとされるもの」という構図そのものが、消滅するからです。

そして、これは虎の側にも言えて、虎に「権威」がなければ、狐もわざわざ「威」を借りに行きません。

守ってもらう必要もないし、そもそも、「権威」という概念がない世界なのであれば、「闘争」を起こす必要性も、起こされる心配もなくなるからです。

食物連鎖をトップに君臨しているはずの人間も、他の動植物の存在がなければ、生存し得ないという点で、他の動植物に命運を握られています。

そうした事実に加え、人間は人間世界において、「権威」というものに影響を受けていると言えます。

なぜなら、それが無ければ、人間同士の優劣関係や、支配する者とされる者という関係性そのものが、そもそも存在していないからです。

それでは、最後に、人間が影響を受けているもうひとつの事例を紹介して、今回の記事を終えることにしたいと思います。

人間に影響を及ぼす目に見えない存在。

昨今の情勢を鑑みて、「感染症」や「病原体」と見る人もいるかもしれません。

ただ、人間の肉眼では、目視で確認できないものの、電子顕微鏡などで、その姿は確認できるため、見えない恐怖という点では、次点止まりです。

では、何に影響を受けているのか。

それは、「目に見えるかどうか」という観点そのものです。

日本に限ったことではないですが、人類の歴史において、「言い伝え」や「迷信」、「伝承」といったものは、どこの地域でも存在しています。

では、これらはなぜ存在してきたのでしょうか。

現在では、非科学的なものや「根拠のないもの」として、軽く見られがちですが、それは本当にそうなのでしょうか。

日本ではあまり問題になることは多くないですが、そもそも「識字」できるということ自体、当たり前ではありません。

むしろ、誰でも文字の読み書きができる世界というのは、人類の歴史においても、つい最近の出来事であって、それも地域によって、差があります。

そして、「識字」の浸透していなかった世界において、人々を導き、民を守るためには、どのようにすれば良いのでしょうか。

このように見ていくと、「言い伝え」や「迷信」、「伝承」というものが、どのような役割を果たしてきたのかが分かります。

というのも、平均寿命が短かった時代において、次世代への教訓として、彼らを守るためには、これらが有効だったからです。

例えば、〇〇というエリアには、「妖怪」が出るので近づくな。という言い伝えがあったとします。

ここを現代の視点で分析すると、実は、妖怪の正体は「オオカミ」だったり、「自然災害」が起こりやすい地域であることも多いと聞きます。

現在では、言い伝えという形ではなくなりましたが、「旧地名」がその伝承の名残を受け継いでいる地域も少なくありません。

洪水や起こりやすい地域や、地震や自然災害に注意が必要な場所、そういった同時代の苦労した知恵を、次世代の人間への教訓として託し、先人は多くの人間を災禍から救い出そうとしているのです。

おわりに

今回は、「どんぐりの木に支配された、森の小動物」というテーマでお届けしてきました。

人間は、世界を支配する存在ではなく、世界から支配される存在である。

そのようにとらえていくと、人間という存在のとらえ方や見方が変化し、それによって新たな視点が生まれてくるとも言えます。

その点で言えば、人間がどのような世界に生き、どのような枠組みの中で「生かされている」のか。

このように考えていくことで、また違った世界の面白さが味わえると言えます。