はじめに

今回のテーマは、「決断を下さないと決めることが、経営者の最大の仕事」です。

よく、経営者のインタビューや著書を見ると、これまでの成功の「決断」や、その経緯について説明をしていることがよくあります。

ですが、それはある種の「結果論」であって、その経営者が意図しているかどうかに関わらず、実際には受け手の一般読者が思い描いているようなものとは、一線を画しているものと言えます。

言い換えるなら、一線を画すのではなく、「隠されている」と過言ではありません。

では、その理由は、一体どこにあると言えるのでしょうか。

今回は、そこをきっかけにして、お話を進めていくことにします。

一線を画すのではなく、「隠されている」と見る理由。

なぜ、インタビューを受けた経営者の意図と、そのインタビュー記事を読んだ読者の感覚に、ズレが出てきて、一線は画すものではなく、「隠されている」と言えるのか。

それは、経営者の答えた「采配の勝因」は、本当にそれが理由だったのか、再現することができないからです。

以前、歴史研究や科学的な研究などの、研究者について触れた論考がありました。

ここで振り返っておきたいのは、同じ資料・同じ環境・同じ条件下において、それらを満たした時に、発表された論文と同じでなければ、その論考は評価されない、という事実です。

もちろん、一般書店で売られている雑誌や書籍に、そこまでの厳密性は問われません。

ですが、研究世界の厳密性から考えてみると、実際に、経営者の答えた「采配の勝因」なるものから、先ほどのような事実が浮かび上がるのです。

そのため、それこそ「同じ資料・同じ環境・同じ条件下」で、仮にインタビューに載っている経営者の「采配の勝因」を真似たところで、同じ結果を生み出すことはできません。

また、残念ながら、本当に大切なことは、そのインタビューには載っていないと考えるのが自然です。

というのも、本当に「采配の勝因」があるのだとしたら、その経験をクローズなものにして、商売として一事業作るくらいの技量を、その方は持ち合わせているはずだからです。

反対に、巷に溢れている「采配の勝因」が、そのような背景もなく、一般公開されているのだとすれば、その要因については、これをお読み下さっている方であれば、言わずともわかると思います。

では、なぜ同じ状況は2度と発生しないのか。

次にこの部分について、考察を加えていきたいと思います。

時間の連続性と断続性。

歴史という分野があるように、人間は、時間というものから、過去という概念や現在という概念、そして、未来という概念を持ち合わせています。

ですが、その過去とか未来とか現在というのは、一体どこからどこまでが過去で、どこからが未来で、どこが現在なのか説明できるでしょうか。

実際に説明しようとすると、その矛盾性に気がつくと思いますが、そのような概念は、実際には存在せずに、人間は「ただ生きている」という事実があるだけです。

現実問題として、時計や時報、日本標準時など、時を知らせる装置があり、歴史書などのあたかも過去を知らせるような書物もあります。

それなのに、過去・現在・未来という概念が、一種の創作物でしかないと言えるのはなぜか。

それは、その「時」という概念や「歴史」という概念ですら、人間が作り出したものに過ぎないからです。

もっと言ってしまうと、「事実」という概念が怪しくなってくることが、示唆されていると言えます。

というのも、その過去にあった「事実」というのは、あくまでも現在視点の話であると同時に、その解釈もまた、実際に起こった時から経過する年月の中で、組み替えられている見方かもしれないからです。

そして、2020年代の常識と、2050年代の常識は、異なっているはずで、実際に、1980年代の常識と2020年代の常識は、明らかに違っているものと言えるからです。

ただ、ここで一番大切なのは、この事実ですら、ねじ曲げられている可能性があると踏まえながら、向き合っていく必要があります。

なぜなら、「違っているはず」という思い込みや固定概念が、そこには隠されているかもしれず、それによって影響を受けている「事実へのまなざし」を、客観的にとらえることはできないからです。

では、最後に、今回のテーマ「決断を下さないと決めることが、経営者の最も大きな仕事」を、なぜ「決断を下すこと」ではなく、「決断を下さないこと」としたのか。

最後に、この部分に触れて、今回の記事を終えようと思います。

「決断を下さないこと」を決めるという意味。

冒頭の経営者のインタビューの例でもお伝えしたように、一般的に「決断をした」理由に、重点を置かれがちです。

そして、そこは本当に大切なことであれば、公表されないというお話をしましたが、そのほかにも理由があります。

それは、「決断を下さないこと」と決めたことが、本当は、勝ち残った要因かもしれないからです。

ですが、なぜそれが、一般的にはインタビューに載らず、また、その記事を書いている人もまた、そこを通り過ぎてしまうのか。

その理由は、「決断を下さないこと」というのは、「それをやってみた場合はどうだったのか」ということを、再現することができないからです。

言い換えれば、決断して実際にやってみたことは、後で振り返ることができるのですが、決断してやらないと決めたことは、後で省みることができません。

このような事情から、経営者の最大の仕事は、決断を「下す」ことではなく、「下さない」ことであると言えるのです。

つまり、決断を下したことで、会社を傾けてしまったのであれば、それを反省したり、支援者に説明することもできますが、「下さなかった」ことに関しては、取り返しがつきません。

だからこそ、その責務は重く、「下さない」と決めることができずに、余計な遠回りをしたり、最悪潰れてしまったりすることがあると言えます。

おわりに

さて今回は、「決断を下さないと決めることが、経営者の最大の仕事」というテーマで、お送りしてきました。

一般的には、「決断をしたこと」に重点を置いたほうが、インタビューとしても面白いし、追体験したような感覚になり、読み物として楽しめることも確かです。

ですが、同時に、「決断をしたこと」の背景に隠れている、「決断を下さなかったこと」に想いを馳せると、インタビューやそれを文章として発表している、著者の意図の一端が、かえってつかめるようにも見えます。