はじめに
今回のテーマは、「失敗する事業は「構えすぎる」事業」です。
世の中には、うまくいって続いている事業はほとんどなく、失敗していなくなってしまう事業が大半です。
ですが、うまくいかないのが前提の、ビジネスの世界において、なぜうまくいっている事業が存在しているのでしょうか。
そして、「うまくいっている事業」と「うまくいっていない事業」では、どのように違うのでしょうか。
今回は、その点から、見つめていきたいと思います。
「構えすぎる」事業
さて、現在のような状況下だけではなく、昔から「千三つ(せんみつ)」と言われるくらい、事業を起こすことはできても、「風の前の塵に同じ」の状態になることは、よくあります。
この「千三つ(せんみつ)」という言葉は、もともと「1000の言葉のうち、3つくらいしか本当のことを言わない大法螺吹き(大うそつき)」という意味合いのようですが、
それくらい事業の「継続」は、難しいと言えます。
虫の息ならば、何とか再生の道もあるかもしれませんが、基本的には、その状態で凌ぐことはできず、退場を余儀なくされて、いなくなってしまうことも多いです。
うまくいかない場合で、最も多いのは、「構えすぎる」ことにあると考えています。
これには、文字通りの意味合いもありますし、そうではない理由に関しても、存在しています。
まず、文字通り「構えすぎる」点については、そのままその通りで、最初から、店を構えすぎたり、設備を構え過ぎたりすることです。
すでにうまく行っているならまだしも、売上がない段階から、どんどん店舗の内装だの、設備だの、メニュー開発だのと、始めてしまうと、途端に事業が終了してしまいます。
実店舗系だと、こうした状況はどこでもあるようですし、反対に、手堅く経営をしているところは、こうしたところに余念なく、取り組まれている事業者が多いです。
もちろん、収支を赤にしないだけでは、それは虫の息のまま終了しないだけで、うまくいっているとは言えません。
では、最初から軌道に乗りやすい事業というのは、どういったものなのでしょうか。
文字通りの意味ではない「構えすぎる」点と併せて、考察を進めていきたいと思います。
文字通りの意味ではない「構えすぎ」な事業。
先ほどの章では、文字通り「構えすぎる」事業について、お伝えしてきました。
他の事業のスピンオフで、勉強のために新規事業を立ち上げている場合や、すでに1店舗、2店舗手堅く、経営を回せている状態で、
新機軸として事業を打ち立てるために、店舗にお金をかけたり、設備にお金をかけたりしているのであれば良いのですが、
何もないのに、最初からそれをしてしまうと、早い段階で市場からレッドカードが出るというお話でした。
では、文字通りの意味合いではない「構えすぎ」な事業というのは、どういったものなのでしょうか。
それは、「もうやってみればよいのに」という事業です。
具体的に言えば、「もう実践(実戦)してみればよいのに」ということです。
少し考えると、誰もがその当たり前の事実に気がつくのですが、「準備体操」を目的として、準備体操をすることは無いということです。
その「準備体操」は、競技あるいは、実戦のための予行演習として行われるものであって、予行演習のための予行演習は必要ありません。
そして、予行演習にはない、実戦ならではの経験というものも、当然ではありますが存在します。
加えて、「構えすぎ」な事業にありがちなのは、「実戦のための経験値」や「実戦のための装備」を高めるためと称して、さらに構えすぎてしまうことです。
前の章で、当たり前の事実でありつつも、文字通りの意味合いの「構えすぎ事業」を紹介したのは、
店舗や設備などを「構えすぎない」ほうが良い、という事実の解釈を、事業そのものにも当てはめてしまっている、ということを示したかったからです。
言い換えれば、「さすがに、事業で何をするかは、事前に構え」なければなりませんが、その後は、むしろ「やってみればよい」ということです。
今まで見てきた中でも、「面白そうな案」や「似たようなものはたくさんあれど、その視点は無かった」といったものもあります。
けれども、そうしたものの中で、世に出されたものは、さほど多くはありません。
もしかすると、世に出されて継続されていれば、日の目を見ていたであろう事業に関しても、お蔵入りになってしまうことも多いのです。
それでは、最後に、「構えすぎな事業」と「ある種、構え過ぎなお蔵入りになってしまう事業」を振り返りながら、今回の考察をまとめてみたいと思います。
その事業は、そもそも何のためにあるのか。
ここまで、うまくいかない「構えすぎな事業」について、考察を進めてきました。
ここで、再度考えてみたいのですが、「そもそも、その事業は何のために存在する」のでしょうか。
「構えすぎな事業」の最大の盲点は、「事業が構えすぎるかどうか」でも、「構えすぎて、お蔵入りになってしまう残念さ」でもありません。
その事業が、世の中のどういうことをとらえて、何を解決して、どういう社会の一端を担うことができるのか、について考えていない点です。
人は、自分のことだけしか考えることのできない特性があります。
しかしながら、堂々と自分のことだけを考えていると主張しながらも、やはり起こす事業そのものに関しては、何かしら「社会や世の中に問うもの」である必要があると、考えています。
もちろん、それがどんなに小さなものだったとしても関係ありません。
むしろ、そうした世の中の貢献度を、定量化して、そのことに優劣をつけることのほうが問題です。
職業に貴賎なし、という言葉もありますが、資本主義社会の中では構造上「お金を稼いた順」に、世の中からの評価を受けるとしても、
必ずしも、それが優劣や貴賤の比較とはならないのです。
そのため、「数千万人に役立つ事業」とか「社会の根本的な課題解決」みたいに、大きな事業や社会課題に挑む事業でなくとも、
仮に、狭い範囲だったとしても、目の前の人とその周囲の、問題を解決することができる事業だったなら、それは事業としては「うまくいっている」事業の1つなのです。
それこそ、目の前の人の問題解決の一端となるために、どんなに小さな事業だったとしても、堂々とそれを営んでいけば、その事業は転ばないと言えます。
おわりに
今回は、「失敗する事業は「構えすぎる」事業」というテーマで、お送りしてきました。
良いアイデアを事業として成り立たせるのに、事業を滅ぼさないために「構えすぎない」ことと、
いつまでも準備をすることなく「構えすぎない」で、やってみるということが、必要であることに触れました。
もちろん、そうしたことが大切になるのは、「そもそも、その事業は何のためにあるのか」という前提を留め置いた上での、ということになる。ということもお伝えしました。
課題解決、問題解決、と謳われがちですが、そもそも、その問題に取り組むのはなぜなのか、という前提を忘れずに留めておきたいところです。