はじめに

今回のテーマは、「「異端」に耳を傾けることができるか」です。

昨今の情勢もさることながら、実際には、大なり小なり、どこでも常に闘いであり、戦です。

生きることそのもの自体、闘争と言ってもよいのかもしれません。

そして、経営者の闘いというのは、対外的なものだけではなく、内なる闘いもまた、あるかと思います。

いずれにせよ、経営者は、常に、同調と異端との闘いであるとも言えます。

そこで、今回は、社内外に関わらず、勢力の「異端」にフォーカスして、その考察を加えていこうと思います。

大多数の同調派と少数の異端派。

基本的に、組織でも、構成要素でも、全体のうちの大多数と少数派に分かれます。

有名なところで言えば、パレートの法則が挙げられますが、これは、誰もがその生存のために、勝ち馬に乗りたい意識から来ているようにも見えます。

誰もが負けたくはないですし、あわよくば、勝ちたいし、なるべくならば、労力少なくして勝ちに持ち込みたいからです。

しかしながら、多数派が「正義」かといえば、必ずしもそうとは限りません。

むしろ、多数派は、多数に属したいから、おとなしく多数派に属している軍勢が多くいるに過ぎず、それが正義とは限らないからです。

そして、「本当に正しいこと」ほど、理解されるハードルが高いものはありません。

実際に、「勉強は大切だ」という事実があったとして、本当にそのことを理解して、それを続ける人は多くありません。

また、「世の中にはこれが本当に大切なこと」とわかっている人がいたとして、では、その人が、それを多くの人に知らしめようと動くでしょうか。

「本当に真なるもの」こそ、厳しい現実を突きつけたり、人々に絶望を与えたりするものです。

そのため、仮に本当にその価値に気がついていたとしても、実際にそのことについて、伝えるどころか、黙っていることが吉だと、内に秘めておく人も多いです。

誰にもわかってもらえないということもあるかもしれませんし、わざわざ波風を立てる必要はなく、「分かる人にだけ分かれば良い」というスタンスを取ることが、自らや会社を守ることにもつながるからです。

社内をどれだけ風通し良くしようとしたとしても、そうした異端の少数派は、経営者のだいぶ手前で握りつぶされます。

幹部クラスでも、経営者に意見することにためらう人が多いのは当然で、それが下に行けば行くほど、異端の意見や思考は、だいぶ下で止まってしまうのです。

それが、その企業の命運を握りうる考え方や意見になるかもしれないにも関わらずです。

沈没する瞬間になって、「あの意見を登用しておけばよかった」と振り返っても、後の祭りで、手遅れです。

でも、経営者が「異端」を取り入れるためには、方便が必要であるようにも見えます。

そこで、次の章では、経営者が異端を取り入れるための方便について、考えていきたいと思います。

経営者が「異端」を取り入れるための方便。

ある程度の人数を抱えている企業にとって、ワンマン社長の独断と偏見でどれだけ、会社を回せていたとしても、その経営者が「異端」を取り入れるためには、理由が必要です。

失敗や取り組んだ一般社員が吊し上げになることを避けなければなりませんし、

取り組んだ結果の失敗や不都合は、経営者が責任を取るという状況の上で、「異端」を取り入れなければ、誰も革新的なことをやるリスクを取らず何も変わらないからです。

人が二人集まった瞬間に「空気」が生まれ始め、数人が集まった頃には、お互いに空気を読む流れになり、数十人集まった日には、何も動かなくなります。

これが自然の流れなのですから、やむを得ないと言えますが、では、どのようにすればよいのでしょうか。

経営者がアプローチできるのは、大きく分けて2つです。

1つは、会社の構造を変えていくことです。

会社の空気ごと、そうした土壌に追い込んでいくという表現にもできます。

つまり、異端を取り入れる空気を作ろうとするのではなく、「異端」が通常であるハコを用意していく方法です。

四角い容器に入れた水は、四角くしかなりませんが、丸い容器に入れた水は丸くなります。

基本的な事実として、何かを変えようとする時、その「異端」は、現時点において、少数派です。

でも、現時点における少数派や異端派が、本当に必要なことであるのであれば、それが多数派や主流になるように、仕向けていく必要があります。

そして、それは努力して成しうるものではなく、目を向ける部分ごと変えていく必要があるといえます。

先ほどの例で言えば、四角くなっている水を、頑張って丸くしようと努力するのではなく、四角い容器を丸い容器に変える取り組みや視点が、経営者には求められているということです。

なぜなら、頑張って努力して変えられるようなものであるならば、もうすでに変わっているはずだからです。

そのため、現時点で変わっていないということは、頑張って変えられるものではない、もしくは、努力して変えるには困難なタイプの課題であると把握して、

認識するアプローチごと変えていきながら、その問題をとらえていく必要があります。

では、どのようにして、四角い容器を丸くして、中に入っている水の形を変えていけば良いのでしょうか。

最後にこの点について触れていき、今回のテーマを終えたいと思います。

四角い容器を丸くする考え方。

何か中学受験の塾のキャッチフレーズみたいですが、発想の転換を起こすという点で言えば、経営的な問題も、中学受験の問題も、考え方は同じです。

むしろ、経営的な問題のほうが、中学受験の問題と比べると、飛び道具やスマートな方法が少なく、ある局面では、根性ですべての場合を数え上げるような努力も必要かもしれません。

ただ、確率論や場合分けの算数の問題は、頑張ればすべての場合を数えることができるかもしれませんが、経営的な問題は、頑張って数えて答えを出すこと自体が、重要なのではありません。

むしろ、数えている途中の局面で、それぞれに成果を出していき、数えているそばから、それが答えになるような文脈を作り出す必要があるといえます。

言い換えれば、「選んだ答えが正答になるような文脈づくり」です。

もちろん、選ぶ答えもその過程も、この世界にとって、本当に必要なものであることは言うまでもありません。

長期的に見て、マイナスになるような答えであれば、そもそも選ぶ段階で、その選択肢は斬らなければならないからです。

反対に、短期的に見れば、マイナスになったとしても、辛抱して本当に必要なことを見つめ、選び取れるかどうかが、この問題の鍵であると言えます。

おわりに

今回のテーマは、「「異端」に耳を傾けることができるか」でした。

巷で言う、少数派の意見も大切にしましょう、という掛け声は、一見するとよく見えて、実は最悪です。

なぜならば、どうすればその「少数派の意見が大切になるのか」が、まったく語られていないからです。

つまり、少数派の意見があって、それが正しい場合があることを知りながらも、それが通るための道筋を見殺しにしているのです。

だからこそ、そうならない体制そのものを築き上げる役割は、経営者にしかできない所作であると言えます。